月の満ちる夜に(笠黄)


黄瀬 涼太は魔女である。
正確には男なので魔女とはいわないが。

遥か昔、黄瀬家はヨーロッパの森深くにある古城に住んでいた。しかし、何代か前の女当主が東の島国から旅行に来たという男性と恋に落ち、あっさりと住みかを捨てて恋した男性の故郷である小さな島国-日本-へと移り住んだ。

そんな流れを汲んでいると聞かされ育ってきた黄瀬 涼太は、男にも関わらず何故か姉二人よりも魔女の血を色濃く受け継いでいた。
男というよりは中性的な端整な顔に、無駄な肉などついていない均整のとれた身体。きらきらと輝く綺麗な黄色い髪に、人懐っこい笑顔。
黄瀬が幼い頃はよく女の子と間違われ、幼稚園、小学校低学年と妙な人間に誘拐されかけたことも数知れずあった。
特に魔女の血が濃かった黄瀬は同時に魔女の力も強く受け継いでしまっていて。

そのうちの一つに<魅了>と呼ばれる、自分の周りにいる人間を自分の虜にしてしまう能力がある。
これは幼い頃に黄瀬が何度も誘拐されかけた原因の一つでもあった。今でこそ黄瀬は自身の力を上手く制御して、時折モデルの仕事にも活用しているが、幼い時にはこの能力が周囲へと駄々漏れになっていた。
とはいえ今でも満月の夜だけは、どうしても力の制御が困難になる。
そこで黄瀬は満月の夜に万が一にも自分の力が暴走しないように、特注で作った魔力抑制装置-リングピアス-を毎日左耳に付けている。





「はぁ…、どうして効かないんスか…」

そんな黄瀬の目下の悩みはバスケ部の二つ上の先輩、笠松 幸男についてだった。

夕食も食べ終わり、リビングのテーブルに突っ伏してため息を吐いた黄瀬に、ソファに座ってテレビのチャンネルを変えていた大学生の姉、涼乃(りょうの)が首を傾げる。

「どうしたの涼ちゃん?何か悩み事?」

そこへキッチンへ飲み物を取りにいって戻ってきた社会人の姉、涼華(りょうか)が加わってくる。

「効かないって、まさかアンタの力が?」

椅子を引いて黄瀬の正面に座った涼華が驚いたように瞼を瞬かせる。
結局観るものも無かったのか涼乃も話を聞こうと黄瀬の斜め向かい、涼華の隣の椅子に移動してきた。
力の強さは黄瀬ほどではないが、同じ力を有する姉二人に黄瀬は相談に乗って貰おうとぽつぽつと話始めた。

「部活の先輩で笠松センパイって言って、超男前で格好良いセンパイがいるんスけど…」

「ははーん。中学あたりから腐ってたアンタが真面目に部活に勤しむようになった原因ね?」

「涼華ちゃん。もっとオブラートに包んで。それで涼ちゃん、その先輩がどうしたの?」

「……俺、気付いたら、センパイのこと好きになってて」

段々とテーブルの上へ落ちる視線に、黄瀬の頬が薄く赤く色付いていく。その様を涼乃は涼ちゃんの初恋ねと微笑ましく眺め、涼華は構うことなくずばりと切り込んでいく。

「それでアンタはそのセンパイに魅了の力を使ったわけね」

「そっス。でも…」

「効果が無かった?」

こくりと頷いた黄瀬に、涼華は胸の前で腕組みをする。

「姉ちゃん達はそんな経験あるっスか?」

魅了が効かない人間がいるなんて。
それも黄瀬は一番強くこの力を受け継いでいる。
おずおずと視線を上げた先で涼乃は困ったような顔をして、涼華も眉を寄せて難しい顔をする。

「あのね、涼ちゃん」

そして優しい声音で口を開いたのは涼乃だった。

「涼ちゃんや涼華ちゃんと違って私の力は一番弱いから一概にそうとは言えないんだけど。私の力が効かなかった相手は、私よりも好きな人がいる人だったよ」

「そうね、私も似たような感じね。相手に、心から想う好きな人がいた場合効かないことがあったわ」

「……っ、それって。じ ゃぁ、笠松センパイに好きな人がいるってことっスか!?」

そんな、と泣きそうな顔をした黄瀬に涼乃が慌ててフォローに回る。

「私達の場合はってだけだから。あ、それかその人が恋愛方面では相当鈍いからかもしれないし。ね、涼華ちゃん?」

くるりと振り向いた涼乃に涼華は組んでいた腕を解くと、テーブルの上に身を乗り出し黄瀬に顔を近付けた。

「ところでその笠松センパイとやらはアンタのことどう思ってる感じなの?」

「どうって…分かんないっス。最初はよく怒られてたっスけど、褒める時は頭を撫でてくれて優しく笑ってくれるっス…あと、練習後の1on1にも付き合ってくれるっス!」

「ふぅん…」

「涼ちゃんにとってはいい先輩なんだね。笠松さんって」

「っス!……あ、でも、最近何だかよそよそしい気もするんスよ。そりゃ前も手や足が出てきてたっスけど抱き着いても怒らなくなったのに。それがこの頃また、抱きついたら怒られるし…」

きらきらと輝いてた瞳が途端にしゅんと輝きを失ってしぼんでいく。

「もしかして…好きな人が出来たからっスかね」

「涼ちゃん…」

再びテーブルに突っ伏してしまった黄瀬の頭を涼乃は優しく撫でる。

「よし、涼太 」

その隣で体を起こした涼華は凛とした涼やかな眼差しで黄瀬を見つめ、その頭をぽんと軽く叩いた。

「本気でその笠松さんが好きなら姉ちゃんが一つ涼太に策を授けてあげよう」

「……!」

がばりとテーブルになついていた黄瀬の頭が勢いよく持ち上がる。

「ただし、この策が使えるのは一回限り。一か八かで、アンタにも頑張ってもらうよ」

「っそれでセンパイが振り向いてくれるなら、俺は何だってするっスよ!」

きらりと琥珀色の瞳に強い光を宿した黄瀬に、涼華はそれでこそ私の弟だと深く頷いてさっそく策を授ける。

「なに、難しいことはないわ。次の満月の夜に笠松さんに告白しなさい」

「満月の夜っスか…」

「涼ちゃんの力が一番高まる日だね」

「そう、狙いはズバリそれよ。昼日中、ただの月夜に比べて魅了の効果は断然高まるわ」

確かにそうだが、満月の夜というのは黄瀬にとっては力が制御不能に陥る危険も孕んだ、通常なら家に隠ってやり過ごす、回避すべき日だ。

「笠松さんを振り向かせたいのなら、満月の夜でも頑張って自分の力を制御してみせなさい」

満月の夜ならどんな人間だってアンタの力には勝てないはずよ。
むしろアンタの力が効かないはずがないわ。

「俺が頑張れば…」

「そうよ。笠松さんを誰にもとられたくないんでしょ?」

「ちょっと涼華ちゃん。それはやりすぎなんじゃ。私も涼ちゃんを応援したいけど、笠松さんの気持ちも考えてあげなきゃ」

「あら、その点は大丈夫よ涼乃。真に好きな人がいれば満月の夜でもかからないはずよ。逆にいえば涼太の魅了にかかった時点で、それだけの想いしか持ってなかったってことだもの」

何の問題もないわと、涼華は涼やかな笑顔で言い切り、涼乃を丸め込む。

「うーん、いいのかなぁ…」

「いいのよ涼乃。恋愛は先手必勝。戦と同じでやったもん勝ちよ」

「…姉ちゃん。俺、頑張ってみるっス!」

「うん。頑張りなさい、涼太」






それから満月になる日まで、黄瀬はいつもと変わらない日々を送っていた。

「センパーイ!一緒にお昼食べてもいいっスか?」

「いいっスかって、毎回昼飯持って現れるくせに何言ってんだお前は」

「えへへ…お邪魔しまーす」

昼休みには三年の教室に顔を出し、笠松と森山と小堀、たまに二年の早川と中村も加わり一緒に昼御飯を食べる。場所は教室だったり屋上、部室、食堂とその時に寄って変わるがメ ンバーはあまり変わらない。

今日は教室で、黄瀬はちゃっかり笠松の隣の席を確保して、手に提げていた購買の袋を机の上に置いた。
袋の中からおにぎりやサンドイッチ、紙パックの飲み物を取り出しながら黄瀬は笠松達の輪に加わる。

何を話しているのかと思えばその大半は、森山がどこかから持ってくる噂話や可愛い女の子の話、身近なとこで授業のことやバスケの話。

「でさ、三組の女の子が見たって言うんだよ」

「何をっスか?」

そして今日の話は何かと黄瀬はおにぎりをかじりつつ首を傾げ、森山の話に口を挟む。すると森山は一旦箸を止めてちらりと黄瀬を見やるとおどろおどろしく口を開いた。

「幽霊だよ」

「幽霊…っスか?」

深刻な顔をする森山には悪いが、元から人外である黄瀬は幽霊と聞いても然程驚きはしない。

「そもそも校舎の二階にある踊り場って、俺らもう海常に通って三年だぜ。幽霊なんか一度もみたことねぇよ」

笠松は森山の幽霊話を信じていないのか懐疑的な眼差しで弁当をつつきつつ言った。小堀も少しだけ困ったように眉を寄せて森山を見る。

「うーん、悪いけど俺も笠松と同意見かな」

「けど、実際見たって子がいるんだぞ。それをどう説明するんだよ」

「…もしかして森山センパイ、その女の子に何か言ったんスか?」

やたらぐいぐい幽霊話を押してくる森山に黄瀬はパターン化している森山の行動を読んで、念の為訊いてみた。

「いやぁ、なに、可哀想なことに彼女が怖がっているというからその正体を突き止めて安心させてあげると…」

「やるなら一人でやってろ。俺を巻き込むな」

「放課後って俺達も部活があるからね」

最後まで話を聞くことなく笠松は言い放ち、小堀は正論で森山に返す。
容赦無い二人だと思いながらも黄瀬も便乗させてもらう。

「俺も忙しいんで遠慮させてもらうっス」

話ながらもきちんと昼御飯は完食して、残りの十五分も森山は幽霊話でぐだぐだと絡んできた。

「なぁ、一回だけでいいからさ。見るだけ見に行ってみようぜ」

「だーっもう、うるせぇな!行きたきゃ一人で行けって言ってるだろ!」

そしてあまり気の長くない笠松がキレて森山を怒鳴る。

「おまっ、一人で行って俺に何かあったらどうするんだ!美人な幽霊が俺に惚れて、一緒にあちらへ行きましょう何て誘われでもしたら!」

「勝手に行ってこい!ありえねぇから!」

「まぁまぁ、森山も笠松も落ち着いて 」

「…でも、森山センパイ。本当に幽霊だったらどうするんスか?お祓いとか出来ないと逆にマズイっスよ」

漫画とかでよく興味本意で見に行ったりして逆に怒らせちゃって呪われるとかあるじゃないっスか。嫌っスよ俺はそんなの。

「ぬぅ、黄瀬にしてはまともなことを…」

「そういうことだ、諦めろ森山」

必然的に笠松の味方になった黄瀬は良くやったと笠松に頭を撫でられる。
わしゃわしゃと擽ったく感じる手の感触に黄瀬はふにゃりと嬉しそうに表情を崩して、そのどさくさに紛れてちょっとだけ魅了の力を溢してみる。

「そうか!黄瀬は俺が美人な幽霊に誘惑されるのにやきもち妬いてるんだな!」

「俺は森山と違って始めから興味ないから」

ふわりと鼻先を掠めた甘い香りに、森山と小堀は黄瀬の力にかかってくれたようだったが、肝心の笠松にはやはり効果はないようで。頭を撫でていた手はぴたりと止まり、あっさりと離れていく。

「馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ。…もうすぐ昼休み終わるぞ、黄瀬」

それどころか笠松は追い払うように頭から離した手で、自分の教室に戻れと黄瀬に手を振ってくる。

「うー、じゃぁまた部活の時に」

「…あぁ」

黄瀬には 笠松の行動が読めない。
力が効かないから地道に頑張ってみてはいるが。
やはり決戦は満月の日だと、黄瀬は三年の教室を出ながら思いも新たに強く決意した。





放課後の部活は真面目に取り組み、黄瀬も真剣な表情で笠松から出される指示を聞く。
朝は基本的に基礎練が多く、放課後は外周を走ってから紅白戦や連携といった試合に近い形の練習が入る。

「よし、十分休憩!各自水分補給しとけ!」

笠松の声に熱気が隠っていた体育館内の空気が緩む。手にしていたボールを下ろし、それぞれが休憩の為に体育館を出たり、壁際に寄って腰を下ろしたりする。
Tシャツの裾で汗を拭った黄瀬も荒い息を吐き、休憩しようと体育館の舞台下に一人で座り込んだ笠松の元に行く。

「センパイそれ、今日のメニューっスか?」

「ん…、あぁ。お前もちゃんと水分補給しろよ」

バインダーに挟んだメニュー表片手に座り込んだ笠松の隣に黄瀬はどさりと腰を下ろす。そこへ、一旦バインダーを床の上に下ろした笠松からスポーツドリンクの入ったボトルを差し出された。

「ほら」

「あざーっス」

海常はマネージャーがいないので、ドリンク作りや得点板出しなど細々とした雑務は主に一年が行うことになっている(一部を除いて)
そして、黄瀬が笠松と良く一緒にいるイメージが定着してしまったのかこうしてドリンクを配られると黄瀬の分も何故か笠松が預かってることが普通になってきていた。

「あ…そうだ、センパイ。明日の部活なんスけど」

「ん?」

隣に座ると更に笠松と視線が近くなって黄瀬は内心でぎゃぁぎゃぁと騒ぐ。

ボトルを傾けて上下する喉仏とか。
こめかみから落ちてきた汗をTシャツを引っ張って雑に拭う仕草とか。
笠松に恋する黄瀬は全てにおいて色々と悩殺されていた。
けれども表上面は至って涼しげに笠松へと話しかけるなどと器用なことを黄瀬はやってのけていた。

「明日の部活休ませてもらうっス」

「仕事か?」

「そうっス。結構良くして貰ってる相手なんで、どうしても断れなくて」

すいませんっス、と俯いた黄瀬の頭に笠松の掌が乗る。

「別にお前が謝ることじゃねぇだろう」

これが入部当初だったらシバいてるかも知んねぇけど、インターハイが終わってからも極力仕事を減らしてお前がバスケを頑張ってるの知ってるからな。
汗で湿っぽくなった黄色い頭をわしゃわしゃと撫でて笠松はふっと優しく双眸を和らげた。

「バスケしながら仕事もきちんとこなして、両立させてるお前はよくやってるよ」

「センパイ…」

不意打ちでくる笠松の優しさにきゅぅと胸が疼いて、ふるふると身体を震わせた黄瀬は堪まらず笠松に抱き着いた。

「もうっ、センパイ格好良いっス!大好きっス!」

「っわ…ばっ!飛び付いてくんな!」

隣にいた笠松を押し倒す勢いで背中へ腕を回し、ぎゅうぎゅうと黄瀬は笠松を抱き締める。嬉しさのあまりぶわりと漏れた甘い力が黄瀬の身体に纏わりついた。

「――っ、」

「ねぇ、センパイ。俺、本気で…」

「っいいから離れろ!暑苦しい!」

「いっ〜〜!?」

腕を拘束しただけでは甘いと、ゲシッと黄瀬の腹部に笠松の膝蹴りが入る。痛みに緩んだ拘束から抜け出し素早く立ち上がった笠松は右手の甲で口許を隠し、腹を押さえて見上げてきた黄瀬を眉をしかめて睨み返した。

「お前、あんまふざけた真似すんとシバくぞ」

「 もうシバいてるじゃないっスか。痛いっスよもう〜」

それに俺は本気なのにと呟いた黄瀬は、いつもと違って笠松からピリッと走った空気に何だ?と微かに首を傾げた。
周囲はそんな二人の姿をいつものことと誰も気にするものはなかった。



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